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2011.08.15

靖国参拝できなければ、首相たる資格はない

 菅直人に、内閣総理大臣を務める資格など無い。 
 次の首相が誰になるのか分からないが、靖国参拝できなければ首相たる資格は無い。 

 そもそも、国際常識に沿って考えれば、国家の首長たる内閣総理大臣が準に公たる戦没者顕彰慰霊施設である靖国神社に参拝し、現代日本の繁栄の礎となった先人の貴い犠牲に感謝し英霊を顕彰追悼することは至極当然であり、義務であるとも言える。

 そもそも、世界いずれの国家を見ても、貴い命を捧げて国の為に尽くした戦没者を顕彰慰霊する施設は存在する。なぜならば、彼らは義務として戦場に駆り出され、祖国のために尊い命を捧げたからである。そして、国家の代表が他国に訪問した際はその国の顕彰慰霊施設に赴き礼拝するのは国際的儀礼である。米国アーリントン墓地への献花がその代表例である。そしてその施設が我が国においては靖国神社なのである。 

 時評を鑑みるに首相の靖国参拝の是非を問う議論に於いて問題視されるのは、一つはいわゆる「A級戦犯」合祀に関してであり、もう一つは靖国神社の宗教的色彩、すなわち政教分離原則(憲法第20条)である。いずれについても、小生は問題無しの立場を取る。 

 「A級戦犯合祀」について述べる。そもそもここで言う「A級戦犯」とは、極東軍事裁判で死刑となった7人を指す。しかしこの極東軍事裁判とは、当初から明らかなとおり、決して公平な裁判とは言えず、むしろ戦勝国が敗戦国日本に対して行った復讐裁判であり、様々な罪状をでっち上げた上に、法の不遡及原則を無視した横暴な裁判である。この裁判で唯一中立的立場であったインドのパール裁判官が全員無罪を主張したことは有名である。すなわち、彼らは死刑等になったのであるが、この裁判は戦争の継続の側面があるが故、彼らの死はあくまで「刑死」ではなく「戦死」なのである。 

 そのためもあって戦後主権回復した日本では彼らの名誉回復が法によってなされ、その後の手続きを経て靖国神社に合祀されたのが昭和53年であった。以上の経緯から、いわゆる「A級戦犯」の合祀は日本にとってはまさに当然至極であると言えよう。 

 「A級戦犯」の分祠を主張する動きが盛んになっているがこれは以上のことを鑑みれば言語道断である。これは周辺国、特に中国に配慮してとのことであるが、確かに彼らから見れば「A級戦犯」はまさしく「A級戦犯」であるかもしれないが、首相の靖国参拝はあくまで日本国内の問題であり、他国の干渉により左右する問題ではない。また、中国は傲慢な華夷思想に基づくファシズム共産主義国家であり、彼らはあくまで自国が世界の中心であると思い込み、他国に対し自分たちに都合のいい主張は平気でする傍ら、自分らは周辺諸国お構いなしにチベット・ウイグル・南沙諸島などを現在進行形で侵略している。そのような国に一々配慮していては、かえって相手をつけ上がらせ更なる干渉を生み出すのみである。昨年、いわゆる菅談話が閣議決定され、どうなったか。韓国も北朝鮮も中国もそして台湾までも、つけあがらせる結果になったではないか。 

 そもそも彼ら特定アジアが公式参拝に対して干渉をし始めたのは合祀してのち6年たってからである。このことを考えれば、彼らはむしろ政治的な意図を持って抗議しているとしか思えない。 

 また、最近は「富田メモ」や「卜部日記」によって、昭和天皇の大御心を利用し分祀論を唱えるものがいる。しかしながら、そのような又聞きで先帝陛下の大御心を拝するのはいかがなものか。そもそも、日頃天皇・皇室を軽視するものに限ってこれらの遺文を錦の御旗に主張する輩が非常に多い。都合の良い時に限って天皇を持ち出す、不敬にもほどがある。 
 更に、これが一番肝心なのであるが、そもそも「分祀」を勘違いしているものが非常に多い。「分祀」はあくまでも「分けて祀る」ものであり、いわばロウソクの炎を別のロウソクに分け与えるがごとく、神様を「新たに」別の場所「でも」祀ると言うことである。「分祀」しても、決して靖国から「廃祀」されるものではない。そもそも、神道には「廃祀」という概念は存在しない。一度祀られた以上、その神様は決してその場所からいなくなることはないのだ。こんな基本的なことが、日本遺族会などの役員ですらも分かっていないことには唖然とせざるを得ない。それとも、靖国神社にその思想の変更を迫るというのか。だとすれば、これこそ政教分離に問題があるのではないか。 

 次に靖国神社の宗教色について。簡潔に述べる。 

・そもそも神道には教義がなく、「宗教」というカテゴリーに入れるには不的確要素が多い 
・祭神も神社によってバラバラ。実在した人物を祀る神社も多い 
・靖国神社は戦前は「別格官幣靖国神社」であり、陸軍省と海軍省の管轄下にあった
・現在も神社本庁とは一線を画し、独自に運営している 
・靖国神社はあくまでも英霊の顕彰慰霊の場であり、ご利益(りやく)を求める場ではない(その意味で、靖国神社でお守りや神札等を販売しているのはどうかと思う)
・追悼形式こそ神道形式をとっているが、そもそも神道は利益追求しない限りにおいて宗教と言うより習俗と言うべきで、靖国の追悼形式はその日本古来の伝統的習俗に従っているだけである 
・靖国参拝を政教分離の観点から批判するのは、靖国参拝批判自体の一つの道具に過ぎない。実際に、首相および閣僚は新年に伊勢神宮参拝することが慣例になっているが、これを政教分離の観点から批判する輩を見たことがない。 

 以上から、靖国神社は日本古来の慣習に従って戦没者を追悼しているものであって、首相が参拝することが一宗教を助長するものとは言えない。 

 靖国神社は先の戦争だけなく、日清・日露戦争の戦没者も祀っている。また英霊の方々は、出陣の折り、家族に、そしてまた戦友に、「靖国神社で会おう」と約束して旅立ち、そして散っていったのである。このようにして尊い命を捧げて我が国のために戦った祖先たちの思いを考えれば、いかにして靖国以外に安息の地をもとめることができようか。 

 以上のことから、私としては、靖国神社が現在のままで、内閣総理大臣が先頭となって参拝し、また、昭和40年代半ばまで継続していた天皇陛下御親拝の復活をも望むものである。

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コメント

韓国は日本の領土である竹島(島根県沖)を不法占拠している。その上、
韓国の歴代の大統領は反日教育を行ってきた。
その結果と思われるが、韓国には日本人に対してとんでもない悪質ないたずらをする男共がいる。
街中で日本人と見るや、いきなり後から来て足を上げた瞬間に片方の靴を、あっという間に脱がせて、その靴を持って逃げてどこかへ消える。
とても手馴れた技と行動なので、今まで何百人もの日本人に対して行ってきたのだろう。
こんな格好ではとても日本に帰れない。
日本人と見るや、どんな嫌がらせをされるか分からないので、韓国へ行く人はそれなりの覚悟が必要。
それより、反日韓国へ行かないことが望まれる。
韓国は反日、台湾は親日と感じた旅であった。

投稿: 菅左人 | 2011.08.15 17:47

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